日本歴史地名大系 「内海町」の解説 内海町うちのみちよう 香川県:小豆郡内海町面積:六一・七二平方キロ小豆郡東端に位置する。東は播磨灘に面し、西は島の脊梁山脈である嶮岨(けんそ)山系の支脈(五〇〇―六〇〇メートル)が延びて池田(いけだ)町と境し、北は星(ほし)ヶ城(じよう)山(八一六・七メートル)から西へ三笠(みかさ)山、四方指(しほうざし)山(御前ヶ丸岳)など六〇〇―七〇〇メートル級の嶮岨山系の主峰およびその支脈によって土庄(とのしよう)町大部(おおべ)地区と接する。南は東寄りに大角(おおかど)鼻が突出して播磨灘から備讃海峡への入口をなし、田浦(たのうら)半島が西方に出て池田町の三都(みと)半島とともに内海湾を擁する。中央部を嶮岨山に源を発する安田大(やすだおお)川・片城(かたじよう)川・別当(べつとう)川などの河川が南流する。近世の小豆島九郷のうち幕府領草加部(くさかべ)・福田(ふくだ)両郷を合せた地域で、明治一三年(一八八〇)両郷から枝村が独立すると同時に、草加部本村を形成していた三ヵ村および安田村のうちの木庄(きのしよ)村が独立して一六ヵ村に細分化した。 内海町うつみちよう 広島県:沼隈郡内海町面積:一二・七七平方キロ沼隈(ぬまくま)町の南海上に浮ぶ田(た)島・横(よこ)島と、その属島の矢(や)ノ島・当木(あてぎ)島などからなる。東北は阿伏兎(あぶと)ノ瀬戸を境に沼隈町能登原(のとはら)、北西は尾道市の百(もも)島で、南は燧(ひうち)灘に面する。田島と横島の間は潮が引くと歩いて渡れたという坊地(ぼうじ)ノ瀬戸で、現在は橋がかかっている。田島の南西部に標高三二八・八メートルの高(たか)山があるのをはじめ、横島も二〇〇メートル以上の山地で平地は少ないが、山地を利用した蜜柑などの果樹栽培が盛ん。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by