草津湊(読み)くさつみなと

日本歴史地名大系 「草津湊」の解説

草津湊
くさつみなと

[現在地名]西区草津南一丁目

現在は広島市の西部開発により埋立地となっている。神武天皇東征・神功皇后西征の途次、当地に寄ったとの伝えが「国郡志下調書出帳」には載る。天文二三年(一五五四)湊背後の草津城に拠った毛利氏水軍の将児玉就方が当地を支配し、湊は広島湾警固の水軍基地となった。天正六年(一五七八)三月七日付の毛利輝元書状(「閥閲録」所収福井左伝次家文書)に「於草津遣候浮米」、年月日未詳の毛利輝元書状(「譜録」所収二宮太郎右衛門家文書)に「草津之塩」とみえ、戦国時代末期には毛利氏の本拠地吉田よしだ(現高田郡吉田町)方面へ送る米・塩など重要物資の荷揚港でもあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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