日本歴史地名大系 「草津村」の解説
草津村
くさつむら
東南が瀬戸内海に面するほかは、
「房顕覚書」によれば、足利尊氏が筑前より上洛の途次厳島社に参籠したとき「造果七百貫、己斐、草津三ケ所ヲ被成御寄進ル」とあり、厳島神社領となったという。羽仁家家譜(「閥閲録」所収羽仁右衛門家文書)によれば、戦国時代には厳島社神領衆羽仁氏が草津城を拠点に現地を支配した。その後大内氏・陶氏の勢力が伸張し、天文二三年(一五五四)からは毛利氏の支配となった。毛利元就判物(「譜録」所収児玉与右衛門家文書)によれば、毛利氏の重臣児玉就方が「草津町」を支配し、町屋が形成されていたことなどがわかる。
近世は「国郡志下調書出帳」では「慶長御検地帳ニ者当村古江村一村ニ而惣名草津村と有之」とみえ、元和五年(一六一九)の安芸国知行帳では草津村と古江村とが別村として記されているが、分村の時期は不詳。
草津村
くさつむら
草津村
くさつむら
草津村
くさつむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報