荒井賢太郎(読み)アライ ケンタロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「荒井賢太郎」の解説

荒井 賢太郎
アライ ケンタロウ


肩書
枢密顧問官,枢密院副議長

生年月日
文久3年10月(1863年)

出身地
越後国高田(新潟県)

学歴
東京帝大法科〔明治25年〕卒

経歴
大蔵省に入り、奈良県収税長、大蔵省主計官、同参事官、主計局長。次いで朝鮮総督府参与官、同度支部長官などを歴任。大正11年加藤友三郎内閣の農商務相となり、勅選貴院議員。その後枢密顧問官、行政裁判所長官、懲戒裁判所裁判長、枢密院副議長などを務めた。

没年月日
昭和13年1月29日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「荒井賢太郎」の解説

荒井 賢太郎
アライ ケンタロウ

大正・昭和期の政治家 枢密顧問官;枢密院副議長。



生年
文久3年10月(1863年)

没年
昭和13(1938)年1月29日

出身地
越後国高田(新潟県)

学歴〔年〕
東京帝大法科〔明治25年〕卒

経歴
大蔵省に入り、奈良県収税長、大蔵省主計官、同参事官、主計局長。次いで朝鮮総督府参与官、同度支部長官などを歴任。大正11年加藤友三郎内閣の農商務相となり、勅選貴院議員。その後枢密顧問官、行政裁判所長官、懲戒裁判所裁判長、枢密院副議長などを務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荒井賢太郎」の解説

荒井賢太郎 あらい-けんたろう

1863-1938 明治-昭和時代前期の官僚,政治家。
文久3年10月生まれ。大蔵省にはいり,主計局長,朝鮮総督府度支部長官をつとめる。大正6年貴族院議員。11年加藤友三郎内閣の農商務相。のち枢密顧問官となり,昭和11年枢密院副議長。昭和13年1月29日死去。76歳。越後(えちご)(新潟県)出身。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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