…記録の上では1606年(慶長11)に暹羅(シヤム)に,10年には交趾(コーチ)に,そして19年(元和5)から32年(寛永9)まで数回交趾にみずから渡航したが,交趾の高官阮(グエン)氏に信頼され,貴族の待遇を受け,阮氏の娘を妻とするなど,当時の有力な朱印船貿易家であった。荒木船の船旗はオランダ東インド会社のマークを逆さにしたものを使用していた。宗太郎の子孫は代々長崎西築町の町乙名(町名主にあたる)を務め,同家には船旗や安南(アンナン)国書,同国製の鏡などを伝えていた。…
※「荒木船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」