1631年(寛永8)6月に始まり,35年5月日本人の海外渡航が禁止されるまでの間,朱印船を海外に渡航させる場合,従来の朱印状のほかに老中の奉書を長崎奉行に差し添えて下すことが制度化された。この制度に基づいて渡航する船を奉書船という。以後,朱印船主は単に資金のみがあっても渡航者として適格とはいえず,江戸幕府との特殊関係者のみに限られ,幕府はこれによって海外貿易全般に対して管理,統制を強化した。その理由は,南方諸地域において日本の朱印船を排除する空気が強く,国際間の紛争も発生しており(台湾事件,シャムのアルカラーソ事件,シャムの山田長政毒殺やアユタヤ焼打ち事件など),それにキリスト教の取締りの強化や,日本からの武器輸出禁止,さらに偽造朱印状の横行などの問題があったからである。以後,奉書船貿易家の中心は末吉孫左衛門,平野藤次郎,角倉素庵(与一),末次平蔵,茶屋四郎次郎,橋本十左衛門と三浦按針(2世)の7人が主となり,この7人は豪商というよりは7人の侍,すなわち代官か代官に準ずる立場に属していた。
執筆者:中田 易直
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江戸初期に将軍のほか老中の許可を得て東南アジアに渡航した貿易船で、朱印船の最終形態。異国渡海特許の朱印状の交付は、1609年(慶長14)ころからしだいに特定の大名や幕府と関係の深い豪商などに絞られてきたので、諸大名や幕府重臣のなかにも、朱印状をもたずに在住中国人名義でひそかに船を出すなど、朱印船制度はなし崩しに崩れつつあった。また1628年(寛永5)には朱印船がシャムでスペイン船に焼打ちされ、将軍の権威が傷つけられるという事件が起こった。幕府はこれらの事態に対処するため、1631年から朱印状のかわりに、老中連署の奉書を下し、これに基づいて長崎奉行(ぶぎょう)が発行した渡航許可証を貿易船にもち渡らせることとした。この制度は1635年鎖国による日本船の渡航禁止まで続いた。
[中村 質]
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江戸初期の海外渡航商船。江戸幕府は南方に渡航する朱印船に対して,1631年(寛永8)から従来の朱印状に加えて,老中が長崎奉行にあてた渡航許可の奉書を下すこととした。老中奉書を添えたのでこの名がある。朱印船貿易の管理統制の強化策の一つで,朱印船による宣教師の潜入や偽造朱印状による渡航防止を目的とした。派船は幕府と特殊な関係をもつ特権商人にかぎられるようになったが,35年の渡航禁止令で廃絶。
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