朱印判をもって発給した戦国時代および江戸時代の古文書。武家が印判を発給文書に用いるようになったのは駿河守護今川氏親からであり,幼年のため花押に代行したものであった。しかしそれ以来小田原北条氏,甲斐武田氏,房総里見氏,越後上杉氏など主として関東の戦国大名の間で,個性的にしかも相互に影響を与えつつ,形態や使用法が発展した。これらの印判は主として朱印か黒印かであるが,戦国大名の家の権威を象徴する印判はおおむね朱印判であった。印判は花押の代用として,あるいは同時に多数の文書を発給する必要がある民政文書に使用されていたが,花押はしだいに所領の充行や特権の付与などという重要な文書に用いられるようになり,とくに織豊政権下ではこの用法が特徴的であった。このため両氏の政策は朱印制度と呼ばれる。徳川氏の朱印の使用法もほぼ同じであって,御朱印という語がこの3氏の朱印状をさす場合も多い。また豊臣・徳川両氏は国外に発行する外交文書に朱印判を用い,朱印状によって貿易を許可したので,朱印船の称が生まれた。さらに織田・徳川両氏は伝馬の給付に朱印判を用い,とくに徳川氏は幕末に至るまで独特の使用法によって給付した。一般に印判状は朱・黒両印が多いが,その機能上の区別は戦国大名や織田氏では明瞭でない。越後上杉氏のように用途による印判の区別を定めている場合でも朱・黒両印の差には言及していない。しかし幕藩体制下においては機能上の差異が生じ,徳川将軍家は書状や軽微な事項には主として黒印状を用い,10万石未満の所領安堵・社寺領寄進などには朱印状を用いた。ただし旗本については家綱以後朱印状の交付がなかったという。そして社寺に対する所領寄進や年貢・課役の免除などに黒印状を用いる場合もあったので,朱印地,黒印地の称が生じた。所領安堵の朱印状は将軍の代替りごとに更新されたから前将軍の朱印状は返還するのが原則であったが,実際には歴代将軍の朱印状を襲蔵する社寺も多い。なお朱印は武士が使用し,庶民には許されなかったといわれる。
執筆者:岩沢 愿彦
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戦国期~江戸期の武家文書の一形式。手印状、朱印ともいう。古くは禅僧の発給文書に朱印を用いたものがあるが、戦国期には、東国地方を中心に各地の大名が花押(かおう)にかわり印章を捺(お)した印判状をもって政務・軍事などの命令をすることが多くなった。そのうち朱印を使用した公式文書が朱印状で、今川氏の「如律令(にょりつりょう)」印、後北条(ごほうじょう)氏の「虎」の印判、武田氏の「龍」朱印、織田信長の「天下布武(てんかふぶ)」印、上杉氏の「立願勝軍地蔵摩利支天飯縄明神(りつがんしょうぐんじぞうまりしてんいいづなみょうじん)」印などが有名である。この形態は近世まで継承され、将軍による所領安堵(あんど)や海外渡航許可などの際に用いられた。近世末期になると、印章の色にかかわらず将軍の発給した印判状を朱印というようになった。
[大久保俊昭]
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朱印を押してある印判状。戦国大名や江戸幕府将軍によって用いられた。黒印状と併用した場合には,朱印状のほうが丁寧とされた。文書形式としては,直状(じきじょう),奉書(ほうしょ),書状があったが,朱印が押してあれば朱印状とよぶ。印判状は同一の内容の文書を多量に出す場合に便利なので,ひろく用いられた。近世にも将軍から大名への書状,寺社への所領の給付などに多用された。
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…なお中世武家権力を主従制的・統治権的支配の二元性においてとらえる学説が有力であり,少なくとも初期室町幕府では,安堵は足利直義の管轄した統治権的支配の中核であったが,安堵が本来そのような性格のものであったかどうかは,なお未解決な問題といえよう。【笠松 宏至】
[近世]
江戸時代には主君から給与された所領知行は一代限りという原則のもとに,相続は許可制をとり,将軍代替りの際には判物(はんもつ)あるいは朱印状によって継目安堵が行われ,大名よりは判物や黒印状をもって行われた。朱印状によって安堵された所領は総称して朱印地というが,大名領が領分,旗本領が知行所と呼ばれるのに対し,狭義には寺社領のみを指す。…
…近世初頭,江戸幕府が南洋諸地域に渡航する日本船に貿易統制のために発給した朱印状の控帳。原本は以心崇伝の手写になり,京都南禅寺金地院蔵。…
…江戸幕府の4代将軍徳川家綱の領知判物(はんもつ)・朱印状が1664年(寛文4)諸大名に,翌65年公家・寺社に一斉に発給されたことをいう。家康・秀忠・家光3代にわたり区々に発給されていたものが統一的・同時に発給され,大名領知権が将軍の全国的支配権に完全に包含されたことで,将軍権力の強化・確立をもたらしたといえる。…
…ちなみに江戸中期の宮・公家(106家)の総高は4万6600石となっている。家領の大小は,家格の高下,家々の新古,幕府との密接度によって決定され,領知状における判物・朱印状の区別は,諸大名の場合には一応10万石以上が判物,以下が朱印状であったのに対し,公家の場合は家格・官位によって区別があり,清華・大臣家以上および従一位には判物,それ以下には朱印状をもって発給された。また家領のほか,1634年(寛永11)以降には未家督者に対し〈方領(ほうりよう)〉が支給されたが,これは200石より50石までで一定していない。…
※「朱印状」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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