莇地村(読み)あぞうじむら

日本歴史地名大系 「莇地村」の解説

莇地村
あぞうじむら

[現在地名]徳山市大字莇地あどうじ

にしき川の支流莇地川の上流域にある小村で、西南川曲かわまがり、東は須々万すすま(須々万本郷)、北は長穂ながほの各村に接する。萩藩領で都濃宰判に属した。

長穂村の竜文りゆうもん寺所蔵の永正一三年(一五一六)三月二一日付陶興房寄進状(「寺社証文」所収)に「防州都濃郡富田保長穂内莇地参拾弐石地」と記される。

慶長五年(一六〇〇)検地帳では川曲を含む地を莇地村として、総石高二〇三石七斗三升。同一五年の検地帳では莇地・河廻として石高四一一石余、うち田方は二九町余で三三一石余、畠方一六町余で五四石余、百姓屋敷四四を記す。

毛利輝元が次男就隆に元和三年(一六一七)分知した領知目録に、莇地村二七二石一斗八升とみえるが、この地は同七年本藩に返して替地を新たに受領している(毛利家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

半夏ともいう。七十二候の一つで,本来は夏至後 10日目から小暑の前日までをいったが,現行暦では太陽の黄経が 100°に達する日 (7月1日か2日) を半夏生とし,雑節の一つとして記載している。この頃半...

半夏生の用語解説を読む