日本歴史地名大系 「莫城跡」の解説 莫城跡あくねじようあと 鹿児島県:阿久根市山下村莫城跡[現在地名]阿久根市山下阿久根市街の東方約二キロ、愛宕(あたご)山の北半、城(しろ)山ともよばれる標高一五〇メートルを最高所とする山の頂一帯にあり、鎌倉時代初期に莫禰成光が築いた城と伝える。莫禰成光は薩摩国建久図田帳にみえる延武三五町(莫禰院四〇町のうち)の院司成光のことで、以後代々莫禰氏の居城であったといわれる。しかし「薩隅日三州他家古城主来由記」は築城者を莫禰成友とし、「三国名勝図会」は寛元四年(一二四六)神崎太郎成兼が莫禰院を領して莫禰氏を号し、初め波留の賀喜(はるのがき)ヵ城、次いで当城に移って代々莫禰院を治めたとしており、築城者や築城年代については不詳である。また一五世紀後半、薩州家島津用久が当地を含む出水(いずみ)郡一円を領すると莫禰良忠は用久に仕え、名字を阿久根と改称、当城も阿久根城と改めたとされるが(「阿久根市誌」など)、応永二三年(一四一六)から同三二年の間に作成されたと考えられる福昌寺仏殿奉加帳(旧記雑録)には阿久根播磨守良忠の名がみえており、莫禰から阿久根への改称についても、その時期などを含めて不明な点が多い。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by