日本歴史地名大系 「阿久根市」の解説 阿久根市あくねし 面積:一三四・二六平方キロ県の北西部に位置する。西は東シナ海、北は八代海に面し、東は出水(いずみ)郡高尾野(たかおの)町・野田(のだ)町、薩摩郡東郷(とうごう)町、南は川内(せんだい)市に接し、北西は黒之(くろの)瀬戸を挟んで長島に対峙する。市域の東部には出水山地の山々が連なり、同山地を水源とする折口(おりぐち)川・高松(たかまつ)川・大川(おおかわ)川・尻無(しなし)川などの小河川が西流して東シナ海に注ぐ。西部海岸の沖合には寺(てら)島・大(おお)島(阿久根大島)・桑(くわ)島・クレコ島などの小島が点在、これら島々はそれぞれ脇本(わきもと)港・阿久根港・高之口(たかのくち)港の天然の防波堤の役割を担っている。西部海岸線に沿うようにJR鹿児島本線・国道三号が縦断、折多(おりた)地区で国道三号から分岐する同三八九号は長島・熊本県天草(あまくさ)地方を経て、長崎市まで通じている。市街地は高松川河口部、阿久根港の周辺に発達、市名は近世の阿久根郷を継承する。〔原始〕旧石器時代では日暗(ひぐらし)遺跡・赤剥(あかはげ)遺跡などから細石器が多量に出土している。縄文時代では下谷(しもたに)遺跡・大蔵庵(だいぞうあん)遺跡で早期の土器が、波留(はる)貝塚・大蔵庵遺跡で前期から後期の土器が多量に出土している。また阿久根大島からも曾畑式土器や阿高式土器などが発見され、前期から中期にかけて縄文人の海を利用した交通が注目される。弥生時代の遺跡は今のところ希薄である。古墳時代では、従来熊本県宇土(うと)半島が南限とされていた四世紀代の初期畿内型古墳に属する鳥越(とりごえ)古墳が発見され、同型古墳が南九州へも早い段階で伝播していたことが証明された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「阿久根市」の意味・わかりやすい解説 阿久根〔市〕あくね 鹿児島県北西部,東シナ海に面する市。 1952年市制。 1955年三笠村を編入。中心市街地の阿久根は古くから交通の要地として知られ,『延喜式』には英禰 (あくね) 駅の名が記されている。近世に薩摩藩の麓集落となった。現在は港町,漁港で商業中心地。周辺部は農業と水産業が盛んで,ワカメ,ウニ,アワビ,イセエビなどを養殖。サツマイモの生産が多く,デンプン,焼酎,水飴などに加工。明国の船長であった謝文旦 (ぶんたん) から贈られたといわれるブンタンは市の木とされ特産品となっている。かつてはツルの渡来地。海岸は海水浴場として知られ,桑島,大島などは風光明媚で阿久根県立自然公園に指定されている。市街地内に阿久根温泉 (41~45℃の食塩泉) がある。肥薩おれんじ鉄道線,国道3号線,389号線が通る。面積 134.28km2。人口 1万9270(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by