日本歴史地名大系 「菜切谷村」の解説 菜切谷村なぎりやむら 宮城県:加美郡中新田町菜切谷村[現在地名]中新田町菜切谷大崎(おおさき)平野北西端に位置し、南は城生(じよう)村、西は羽場(はば)村、北は下多田川(しもただがわ)村、東は上狼塚(かみおいぬつか)村に接する。文和三年(一三五四)七月一六日の吉良満家(カ)宛行状(鬼柳文書)によれば、「甘美郡名切屋郷半分」が和賀平内左衛門尉に宛行われている。元和九年(一六二三)の広田彦左衛門尉宛の伊達政宗領知黒印状(伊達家文書)には「一五貫拾六文、がんの郡之内、中新田なきりやちやうしきの久荒」が与えられており、五年の荒野の時期を経過したら検地を受けよと命ぜられている。寛永二一年(一六四四)青木仲三郎は「江刺郡鴨沢村、加美郡菜切谷村」のうちで、都合一二貫文を宛行われている(「伊達忠宗領知黒印状」伊達家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by