萩之嶺村
はぎのみねむら
[現在地名]日南市萩之嶺
毛吉田村の南西に位置し、北は塚田村。南郷地頭の管轄地で南郷萩之嶺ともいった(正徳四年飫肥藩人給帳)。また萩嶺・萩ノ峯などとも書き(「日向地誌」など)、元禄一四年(一七〇一)の飫肥領国絵図控(日南市蔵)によると古図では萩峰と書いていたが、萩之嶺が正字であるとして書改めたという。村の中央を細田川が東流する。塚田村から南下した志布志街道は村の西端に位置する仏坂を経て、南の橋ノ口村・榎原神社(現南郷町)に至った。ほかに仏坂から東へ進み、上方村へ至る道も通じていた。仏坂を含む村の西部を東大久保ともよぶ。「日向地誌」が載せる伝承によると、現在の西寺付近にあった字大窪は川内地区(古くは塚田村のうちで、のち大窪村となる)の一部であったが、のちに(年代は不詳)当村に編入されたという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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