日本歴史地名大系 「落野浦」の解説 落野浦おちのうら 大分県:津久見市落野浦[現在地名]津久見市四浦(ようら) 落ノ浦・田(た)ノ浦(うら)・櫂木(するぎ)・松(まつ)ヶ浦(うら)・狩床(かりどこ)・大元(おおもと)・間元(まもと)・高浜(たかはま)深良津(ふからづ)浦の東、津久見湾に面する四浦半島の北岸東部に位置し、南は蒲戸(かまど)浦(現上浦町)。「豊後国志」によると鳩(はと)浦、蒲戸浦・福泊(ふくどまり)浦(現上浦町)の三浦と合せて四浦と称したという。当浦の八町沖合には鳩島・木船(きぶね)島がある(両豊海上行嚢抄)。天正一四年(一五八六)一二月「越智浦」の紀主馬助・九郎らは島津軍の侵入に際し、久保泊(くぼどまり)塁で防戦、撃退している(大友家文書録)。江戸時代は佐伯藩領上浦(かみうら)村を構成する一村であった。正保郷帳に落野浦とみえ、田方一四石余・畑方一二石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by