朝日日本歴史人物事典 「葛城稚犬養網田」の解説
葛城稚犬養網田
大化1(645)年の乙巳の変(大化の改新)に際して,蘇我入鹿を佐伯子麻呂と共に斬った人物。おそらくは中大兄皇子や中臣鎌足の配下にあった人で中臣鎌足が中大兄皇子に推挙し,ことに当たらせた。皇極4(645)年6月12日,飛鳥板蓋宮で行われたこのクーデタに際して,中大兄は子麻呂と網田のふたりに箱に隠し入れた剣を2本与えて,ためわらずにすみやかに入鹿を斬ることをいいつけておいた。しかし,入鹿の威をおそれて子麻呂らが躊躇したので,中大兄が声をかけ督励して入鹿の頭と肩とに斬りつけたのだという。稚犬養氏は古代の宮城の十二門のひとつを守衛した軍事にかかわる一族で,葛城はその居所を示すか。
(鬼頭清明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報