日本歴史地名大系 「蔦町」の解説 蔦町つたまち 石川県:金沢市金沢城下第五連区蔦町[現在地名]金沢市三社町(さんじやまち)・元菊町(もとぎくちよう)三社福留(さんじやふくどみ)町の北端から西に入る小路と、その西端で南北に分れ、南は藺田(いいだ)町、北は三社山田(さんじややまだ)町に至る小路よりなる。両側町で南は三社弓(さんじやゆみ)ノ町、西は藺田町に接する。人持組青山氏(安政三年侍帳では七千六五〇石)の下屋敷地で、延宝町絵図では東三七間余、西は六八間余、南北は一〇〇間ほどの範囲を青山将監(長貞)の下屋敷とする。青山氏は初代豊後吉次から三代豊後正次までは越中国魚津(うおづ)城代を勤めたが、正次は元和年間(一六一五―二四)魚津城廃城にともなって金沢へ引越した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報