蔦町(読み)つたまち

日本歴史地名大系 「蔦町」の解説

蔦町
つたまち

[現在地名]金沢三社町さんじやまち元菊町もとぎくちよう

三社福留さんじやふくどみ町の北端から西に入る小路と、その西端で南北に分れ、南は藺田いいだ町、北は三社山田さんじややまだ町に至る小路よりなる。両側町で南は三社弓さんじやゆみノ町、西は藺田町に接する。人持組青山氏(安政三年侍帳では七千六五〇石)の下屋敷地で、延宝町絵図では東三七間余、西は六八間余、南北は一〇〇間ほどの範囲を青山将監(長貞)の下屋敷とする。青山氏は初代豊後吉次から三代豊後正次までは越中国魚津うおづ城代を勤めたが、正次は元和年間(一六一五―二四)魚津城廃城にともなって金沢へ引越した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む