朝日日本歴史人物事典 「薩摩屋仁兵衛」の解説
薩摩屋仁兵衛(初代)
江戸前期の大坂の豪商。丹波国比田村の出身で,大坂に移住して豊臣秀吉,秀頼の近習として仕えた比田三太左衛門の養子。三太左衛門は多病のため,剃髪して宗春と改めたが,養子仁兵衛(二兵衛とも称した)は町人となり薩摩屋を名乗った。寛永5(1628)年,のちに薩摩堀と呼ばれることとなった堀川の開削に着工し,同7年これを完成させ,この一帯の開発を行うなど,江戸初期の大坂の町造りに貢献。以後薩摩からの商船はこの堀川を利用し,物産を大坂へ送った。薩摩屋はその功により薩摩国産の売買取り締まりに任ぜられ,その後明治期まで,他の6軒の問屋と共に,薩摩問屋,七軒問屋と称された。初代のときにはまだ大坂三郷惣年寄ではなかったが,酒造方の支配をなすなど町自治にかかわり,正徳3(1713)年天満組惣年寄となり幕末におよんだ。近世大坂の代表的上層町人といえる。
(宮本又郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報