藤井達吉(読み)フジイ タツキチ

20世紀日本人名事典 「藤井達吉」の解説

藤井 達吉
フジイ タツキチ

明治〜昭和期の工芸家



生年
明治14(1881)年6月6日

没年
昭和39(1964)年8月27日

出生地
愛知県碧海郡棚尾村(現・碧南市)

経歴
美術学校進学が許されず、服部七宝店(名古屋)に就職。明治37年七宝作品出陳のためセントルイス万博に赴く。38年帰国。大正元年バーナード・リーチらとヒュウザン会を創立。伝統に捕われない斬新なデザインで、刺繡作品、絵、紙工芸を発表、注目される。7年工芸界発展のために津田青楓らと運動を起こし、昭和2年帝展に第4部工芸部を設置させるが、社会的栄達を得るためと誤解され、その潔癖さ故、生涯出品はせず、“悲運の工芸家”と呼ばれた。4〜12年帝国美術学校図案工芸科教授。この間陶芸はじめ各地の伝統工芸を調査。25年愛知県西加茂郡小原村に自費を投じて小原農村美術館を建設。平成9年東京国立近代美術館工芸館で「藤井達吉展―近代工芸の先駆者」展が開催される。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤井達吉」の解説

藤井達吉 ふじい-たつきち

1881-1964 明治-昭和時代の工芸家。
明治14年6月6日生まれ。名古屋で七宝店につとめたのち美術工芸の道をこころざし,新感覚の染織,紙工芸などを発表する。工芸革新運動にもくわわり,昭和2年帝展工芸部誕生の推進力となる。小原工芸和紙や瀬戸の陶芸も指導した。昭和39年8月27日死去。83歳。愛知県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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