器(せっき)がある。土器と違って
器はかならず窯の中で焼きしめてあり、素地は不透光性で、純白磁ではない。西洋では素地に不純物を多く含む準磁器を
器に含めるのが一般的傾向であるのに対し、東洋ではこの種のものは磁器の範囲に含めるなど、これもいまのところ意見の統一はみていない。日本では一般に陶磁器のことを、中部地方以東では瀬戸物、関西以西では唐津(からつ)と俗称することが多い。[矢部良明]
口(だいもんこう)文化時代とよばれており、この文化がやがて竜山文化に受け継がれ、歴史時代の開幕へと連なる。
文壺(ばんちもんつぼ)(アメリカ、ネルソン・ギャラリー)がその初例であるが、これ以外には戦国時代墓からの発掘事例はみられない。
(きょうらい)窯が新しく開かれ、華北には河北省に定窯、河南省に鶴壁集(かくへきしゅう)窯・密県窯・黄道(こうどう)窯・登封(とうほう)窯、陝西省に耀州(ようしゅう)窯などが陸続と開かれて、その量産品は日本をはじめ、遠く西アジアからエジプトまで輸出された。これらは青磁と白磁が中心であるが、華北では白磁のまがい物として白化粧透明釉陶(俗に磁州窯とよばれる陶器)、華南では粗製青磁の黄釉陶が出現し、また両者とも鉄や銅によって釉下に文様を絵付(えつけ)する鉄絵釉裏紅(ゆうりこう)陶を新たにつくっている。
式とよばれる中部・九州地方の土器が相対峙(たいじ)するように分布する。以上五段階に分けられる縄文土器はすべて粘土紐(ひも)の巻き上げ法により成形され、露天のたき火で焼成されており、ろくろや窯(かま)といった高度な技術革新はおこらなかった。この土器の段階での長期にわたる技術の停滞は、結局日本の陶磁史を進展させる力を内から育てず、外からの刺激を待つ結果を招いたといわれる。
(わん)、碗(わん)、皿、甑(こしき)、鉢、硯(すずり)、水滴、装飾付器など多種多様な器皿のほか、馬、塔などの彫塑物まであり、器形を細分すると120種にも上っている。須恵器は素地面に燃料の灰がかかって自然釉をつくることがよくあり、この点は中国の灰陶と異なっていて、むしろ印文硬陶に近いという二つの性格を併有していた。しかしこの自然釉に着目して人工施釉(せゆう)の方向へは進まなかったようで、日本における施釉陶の出現はふたたび朝鮮半島からの新しい刺激によらなければならなかった。[矢部良明]
器(せっき)が焼成されていた。これは厚手の地の器を焼成するとき、高温の窯の中に塩を投げ込んで焼き締めたものである。またケルンとその近隣のレーレン、フレッヘンでは茶褐色地のジャグの頸部(けいぶ)に髯(ひげ)を生やした男の顔を浮彫りにした、いわゆる「ひげ徳利(とくり)」Bartmann Krugが数多くつくられて庶民の人気を集めた。[前田正明]出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
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