藤内新田村(読み)とうないしんでんむら

日本歴史地名大系 「藤内新田村」の解説

藤内新田村
とうないしんでんむら

[現在地名]天童市藤内新田

南は寺津てらづ村、北は蔵増くらぞう村に接し、西側を最上川が北流し、村域の西部に旧川道が残る。明治九年(一八七六)の地誌取調書(後藤文書)に「当村ハ年号干支月日不詳ニ候得共、天正度鈴木藤内ト申者開闢ノ由申伝来候事」とある。鈴木藤内は蔵増安房守の家臣で、天正一二年(一五八四)天童城落城後蔵増安房守が最上義光の命で、その子小国摂津守に預けられると、藤内は帰農して開発に従事したと伝えられる。承応元年(一六五二)の年貢割付状(同文書)に高一三四石余とあり、寛文一二年(一六七二)の検地後分村独立したと推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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