改訂新版 世界大百科事典 「藤原光頼」の意味・わかりやすい解説
藤原光頼 (ふじわらのみつより)
生没年:1124-73(天治1-承安3)
平安末期の公卿。葉室家流の権中納言顕頼の長男。18歳で右少弁に任ぜられてから,左少弁,権右中弁,右中弁,左中弁を歴任する一方,五位蔵人,蔵人頭を兼ね,1156年(保元1)参議に昇り,その後も順調に昇進して,平治の乱では反藤原信頼側として活躍し,正二位権大納言に至った。祖父顕隆,父顕頼の後をうけ,宮中・院中に活躍した典型的な実務官僚で,《今鏡》には,〈なに事にもよき人〉とその才識をたたえている。しかし64年(長寛2)世人に惜しまれながら41歳をもって辞官出家し,桂の里に隠棲したので,当時の激しい政争から身を守ることができた。法号は初め光然といい,後に理光と改めたが,また桂大納言とも称された。
執筆者:橋本 義彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報