精選版 日本国語大辞典 「参議」の意味・読み・例文・類語
さん‐ぎ【参議】
おおまつりごと‐びと おほまつりごと‥【参議】
おおき‐まつりごとびと おほき‥【参議】
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(1)令外官(りょうげのかん)の一つ。納言(なごん)に次ぐ公卿(くぎょう)。宰相、相公、八座(はちざ)、「やくらのつかさ」ともいい、「おおまつりごとひと」とも読む。参議の号は、702年(大宝2)大伴安麻呂(おおとものやすまろ)以下5人に朝政に参議させたというのが初見であるが、これは仮の措置であって、正式な官名としては、731年(天平3)藤原宇合(うまかい)以下6人を任命したのに始まるか。807年(大同2)参議の号を廃して観察使(かんさつし)を置いたが、810年(弘仁1)に至り、またもとの参議に復した。この参議に進むには七つのコースがあり、蔵人頭(くろうどのとう)、大弁、左中弁、近衛(このえ)中将、式部大輔(たいふ)の5官のほか、5か国の受領(ずりょう)歴任者と三位の位階をもつもののなかから選ばれた。
[渡辺直彦]
(2)明治初年から内閣制度実施までの政府要職。1869年(明治2)7月の職員令官制で、左右大臣、大納言とともに太政官(だじょうかん)の職として新設された。職掌は大納言と同じく大政に参与するものである。71年廃藩置県に伴う官制改革で、太政大臣、納言と正院(せいいん)を構成。大久保利通(としみち)、木戸孝允(たかよし)、板垣退助(たいすけ)、大隈重信(おおくましげのぶ)ら薩長土肥(さっちょうどひ)藩の実力者が任命され、実質的に政府の実権を握るようになった。73年征韓論政変後は、各省の長官=卿を兼任する者もあり、定員も増加、参議の権力はより強大化した。80年いったん参議と省の長官が分離されたが、翌年にはふたたび兼任が行われた。85年内閣制度実施で太政官制の廃止とともに廃官となる。
[佐々木克]
1古代の太政官において,大臣や大・中納言とともに天皇の諮問や国政事項を審議した令外官(りょうげのかん)。唐名は宰相。702年(大宝2)に5人の官人を朝政に参議させたのが初見で,731年(天平3)に封80戸が支給され制度として確立した。平安初期の平城朝に一時廃され観察使となるが,810年(弘仁元)の復活時にその定員8人を継承したため,以後八座とも称した。三位以上の者や要職の歴任者を任命の資格とし,三位以上で参議でない者を非参議といった。
2近代の太政官制において朝政に参議する官。1869年(明治2)7月の職員令では従三位,定員3人,廃藩置県後の太政官職制改定で正院内に設置され,大臣・納言を補佐して大政に参与。73年の改正で三職に位置づけられ,天皇輔弼(ほひつ)の任にあたった大臣に対し,参議は内閣の議官として庶政にあたった。参議に就任したのは,おおむね大久保利通・木戸孝允(たかよし)・西郷隆盛ら雄藩出身者で,国策決定に実質的影響力をもった。73年の明治6年の政変後,参議・省卿兼任制が敷かれた。一時両者は分離したが,81年の明治14年の政変後に再び兼任となり,85年内閣制度創設により廃止された。
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…他方で高度に組織された行政および政党官僚機構を背後に持つ内閣に対し議会の統制力が弱まったこと,また閣内では増大する閣議事項や所管省庁事務の膨張に追われがちな閣僚個々の事情に対応して,各種閣内委員会(閣僚会議)への決定権の分散が進められたりしたことなどから,合議決定体としての内閣の実質は,一方では首相および少数のインナー・キャビネットへ,他方では行政官僚制へと移る傾向が著しい。
[日本における沿革]
日本の法令に〈内閣〉が登場する早い例は1873年の太政官達にあり,〈内閣ハ天皇陛下参議ニ特任シテ諸立法ノ事及行政事務ノ当否ヲ議判セシメ凡百施政ノ機軸〉となるものとされた。この〈太政官内閣制〉では天皇の輔弼(ほひつ)に任ずる太政大臣,左右大臣等は公家・旧藩主に限られ,参議は直接の輔弼責任を負わない。…
※「参議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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