藤原盛兼(読み)ふじわらのもりかね

朝日日本歴史人物事典 「藤原盛兼」の解説

藤原盛兼

没年寛元3.1.5(1245.2.3)
生年:建久2(1191)
鎌倉中期の公卿。父は正四位下侍従藤原盛能。母は正四位下藤原季佐の娘。左少将,左中将から元仁1(1224)年蔵人頭。翌年参議。翌々年権中納言。宣陽門院の院司となり,長講堂領の管理に当たった。安貞1(1227)年には宣陽門院六条新御所を造進している。寛元2(1244)年に出家

(本郷和人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原盛兼」の解説

藤原盛兼 ふじわらの-もりかね

1191-1245 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
建久2年生まれ。侍従藤原盛能の子。母は藤原季佐の娘。嘉禄(かろく)元年参議となり,2年宣陽門院院司,3年権(ごんの)中納言。貞永(じょうえい)2年(1233)盛兼暗殺の計画が発覚し,翌年官を辞した。正二位にいたる。寛元3年1月5日死去。55歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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