藤原豊子(読み)ふじわらのほうし

朝日日本歴史人物事典 「藤原豊子」の解説

藤原豊子

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:天元3頃(980)
平安中期の女官。『蜻蛉日記』作者の孫。藤原道綱の娘。従三位典侍宰相君,美作三位とも。大江清通との間に定経を生む。藤原道長の娘で一条天皇中宮彰子女房。彰子が敦成親王を出産したとき,彰子の母倫子と御帳のなかで介添えをし,乳母となる。長和5(1016)年,敦成親王が後一条天皇として即位すると従四位下典侍になり,のち従三位に昇叙,女官を統括する。後一条天皇没後,出家。『紫式部日記』には中肉中背でふっくらとした容貌,姿も品も良いとあり,評価の厳しい紫式部にも敬愛されていたらしい。聡明謙虚で,同僚の女房から慕われる有能な女官だった。<参考文献>角田文衛王朝明暗

(服藤早苗)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原豊子」の解説

藤原豊子 ふじわらの-ほうし

?-? 平安時代中期の女官。
藤原道綱の娘。讃岐守(さぬきのかみ)大江清通(きよみち)との間に定経を生む。中宮(ちゅうぐう)彰子につかえ,後一条天皇の乳母をつとめた。典侍,従三位。弁宰相君,美作(みまさかの)三位などとよばれる。紫式部としたしかった。長元9年(1036)出家。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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