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藤原隆昌 ふじわらの たかまさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原隆昌 ふじわらの-たかまさ

?-? 南北朝時代の画家。
藤原隆章(たかあき)の子といわれる。観応(かんのう)2=正平(しょうへい)6年(1351)父とともに覚如(かくにょ)の伝記絵巻「慕帰絵(ぼきえ)」をえがく。翌年父の京都祇園社の大絵師職をつぐ。延文元=正平11年父らと「諏訪大明神絵詞」の制作にたずさわった。

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤原隆昌

生年:生没年不詳
南北朝期半ばの宮廷絵所絵師。摂津守,従五位下。絵師藤原隆章の子か。康永3/興国5(1344)年から延文1/正平11(1356)年まで事蹟がたどれる。観応1/正平5(1350)年に御世始三壇法本尊を,翌年には父隆章と浄土真宗3代覚如の伝記絵巻である「慕帰絵」(西本願寺蔵)を描く。文和1/正平7(1352)年には隆章を継いで祇園社の絵師職になった。延文1/正平11年には隆章,隆盛,郊貞と共に「諏訪社縁起絵巻」10巻を描き,隆昌は祭礼絵2巻目を担当している。「慕帰絵」をみると人物の容貌は鎌倉末期の高階隆兼の作風に準ずるものの,色調は淡雅に抑えられ,南北朝期のやまと絵様式の一典型をみることができる。父隆章の枯淡な作風に比べ,描線は流麗ではつらつとした清新さがある。<参考文献>谷真一『室町時代美術史論』

(相澤正彦)

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世界大百科事典内の藤原隆昌の言及

【慕帰絵詞】より

…全10巻のうち第1,7両巻ははやくに失われ,1482年(文明14)詞書を飛鳥井雅康(あすかいまさやす),絵を藤原久信が補作した。このとき各巻末に雅康が記したところによれば,第2,5,6,8巻は藤原隆章が,第3,4,9,10巻は藤原隆昌が描いたという。このように本絵巻は制作年代,作者を確認しうる基準作として,また1世紀以上へだたった二つの画風を含むなど,絵画史的にも重要な作例である。…

※「藤原隆昌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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