朝日日本歴史人物事典 「藤原隆昌」の解説
藤原隆昌
南北朝期半ばの宮廷絵所絵師。摂津守,従五位下。絵師藤原隆章の子か。康永3/興国5(1344)年から延文1/正平11(1356)年まで事蹟がたどれる。観応1/正平5(1350)年に御世始三壇法本尊を,翌年には父隆章と浄土真宗3代覚如の伝記絵巻である「慕帰絵」(西本願寺蔵)を描く。文和1/正平7(1352)年には隆章を継いで祇園社の絵師職になった。延文1/正平11年には隆章,隆盛,郊貞と共に「諏訪社縁起絵巻」10巻を描き,隆昌は祭礼絵2巻目を担当している。「慕帰絵」をみると人物の容貌は鎌倉末期の高階隆兼の作風に準ずるものの,色調は淡雅に抑えられ,南北朝期のやまと絵様式の一典型をみることができる。父隆章の枯淡な作風に比べ,描線は流麗ではつらつとした清新さがある。<参考文献>谷真一『室町時代美術史論』
(相澤正彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報