日本歴史地名大系 「藤曲浦」の解説
藤曲浦
ふじまがりうら
[現在地名]宇部市大字藤曲
慶長一五年(一六一〇)の検地帳には、藤曲村の浦屋敷三六、石高一六石余、浦浮役一一二石余と記される。
「地下上申」では浦は蔵入地で、浦石六四石余、浦内に船数四五艘で廻船六、五枚帆船三二、猟船七があり、烏賊網がぜ網一〇畳、鰆網二〇畳がある。また同書の境目書に「西ハ海辺干潟
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
慶長一五年(一六一〇)の検地帳には、藤曲村の浦屋敷三六、石高一六石余、浦浮役一一二石余と記される。
「地下上申」では浦は蔵入地で、浦石六四石余、浦内に船数四五艘で廻船六、五枚帆船三二、猟船七があり、烏賊網がぜ網一〇畳、鰆網二〇畳がある。また同書の境目書に「西ハ海辺干潟
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
その議会の過半数には達しないが、議席数をもっとも多くもつ政党。...