藤曲村(読み)ふじまがりむら

日本歴史地名大系 「藤曲村」の解説

藤曲村
ふじまがりむら

[現在地名]小山町藤曲

湯船ゆぶね村の南東に位置する。村の南東を鮎沢あゆざわ川、北・東を野沢のざわ(鮎沢川支流)、南を(同上)に囲まれ、北西の湯船原から張出した丘陵(金桜山)山裾に集落が点在する。延宝八年(一六八〇)の指出明細帳(藤曲家文書)では本村のほかに「小村」として大久保おおくぼ奈良橋ならはし落合おちあいの各集落をあげる。また用水には慶長期(一五九六―一六一五)以前の開発と推定される須川堰(西山用水)と、天保期(一八三〇―四四)慶林けいりん寺住持耕雲によって掘削されたとされる藤曲用水がある。

藤曲村
ふじまがりむら

[現在地名]宇部市大字藤曲・居能いのう町一―三丁目・文京ぶんきよう町・鍋倉なべくら

厚東ことう川河口部左岸に立地。村の東部には宇部丘陵の低い丘が続く。東と南は小串こぐし、北は中山なかやまの各村と接し、西は周防灘に面する。萩藩領で舟木宰判に属する。

慶長五年(一六〇〇)検地帳では「藤曲」とあり、同一五年の検地帳では「藤曲村」とあって総石高三一五石余、うち田一五町余で一六二石余、畠七町余で一五石余、百姓屋敷六、小物成四石余、浦屋敷三六で浦浮役一一二石余である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報