藤田浦村(読み)ふじたうらむら

日本歴史地名大系 「藤田浦村」の解説

藤田浦村
ふじたうらむら

[現在地名]久留米市藤光町ふじみつまち

高良台こうらだい丘陵の南部、ひろ川支流の藤田浦川中流域一帯で、北は光勝寺こうしようじ村・上津荒木こうだらき村に接する。俗に「ふったうら」という。北部丘陵の東辺を薩摩街道(坊津街道)が通り、俗に太閤道と称する。豊臣秀吉の薩摩攻めの道という(下広川郷土史)。文禄二年(一五九三)三月一八日の高良社神職名知行所数注文写(高良山文書)によれば、藤田浦に大宮司領四町が置かれていた。慶安元年(一六四八)家老有馬至長の知行地となり、百姓を移住させて開拓、新たに村号を付ける(稲員家記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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