改訂新版 世界大百科事典 「蘆溝橋事件」の意味・わかりやすい解説
蘆溝橋事件 (ろこうきょうじけん)
北京(当時は北平)の南西郊外にある蘆溝橋付近で1937年(昭和12)7月7日夜に始まった日中両軍の衝突事件で,日中戦争の発端となった。七・七事件ともいう。当時中国では華北侵略をはかる日本に対して抗日救国運動が高まり華北情勢は緊迫していたが,この夜蘆溝橋の北で夜間演習中の日本軍中隊長が実弾射撃の音を聞き,兵1名が不明となった(まもなく帰隊)ことから戦闘態勢に入り,翌8日夜明けに中国軍陣地を攻撃して戦闘にはいった。停戦交渉では日本側は永定河西岸への中国軍の撤退を要求したが,前年9月の小競合いで豊台を撤退させられた経験をもつ中国側は容易に承認せず小衝突も起こったが,11日にようやくこれをのんで停戦協定が成立した。ところがこの日近衛文麿内閣は〈支那側の計画的武力抗日〉によるとして華北派兵を声明し,内地3個師団の動員を決定するとともに各界に挙国一致を呼びかけた。これに対して中国国民政府は,中国の主権侵害と冀察(きさつ)政権(冀察政務委員会)への強要は断固拒否し,〈最後の関頭〉に立ち至れば抗戦も辞さないと声明した。28日には華北の日本軍は総攻撃を開始し,日中全面戦争にはいった。
→日中戦争
執筆者:今井 清一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報