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冀察政務委員会 きさつせいむいいんかい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

冀察政務委員会
きさつせいむいいんかい

1935~37年北平 (現在の北京) に存在した日本と中華民国の緩衝政権の名称。冀は河北省,察は察哈爾 (チャハル) 省のこと。 35年末,日本は冀東防共自治政府をつくり上げ,さらに南京の国民政府に圧力をかけて,華北の分離をはかった (→華北5省自治運動 ) 。国府はこれに対する断固たる政策をとりえず,同年 12月 18日,宋哲元を委員長とする冀察政務委員会の成立を認め,日本の圧力をかわした。その管轄地域は,上記両省と北平,天津両市を含み,国府行政院のもとに,軍事,政治,経済上の自治権をもった。土肥原賢二少将が顧問となり,次第に日本の影響下に入ったが,傀儡 (かいらい) というよりは中間的存在であった。しかし,下からの圧力で次第に抗日化していった。 37年盧溝橋事件後解散。

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世界大百科事典 第2版の解説

きさつせいむいいんかい【冀察政務委員会 Jì Chá zhèng wù wěi yuán huì】

日本の華北工作に対応して,1935年12月に中国国民政府が河北(冀),チャハル(察)両省と北平(北京),天津両市の政務を処理させるために北平につくった緩衝政権。この年日本軍は華北工作を推進したが,国民政府が11月に幣制改革を断行して経済的な統一をはかると,関東軍の土肥原賢二特務機関長は華北の軍閥に〈自治〉政府の樹立をせまった。だがこれは成功せず,日本軍は非武装地帯内に冀東防共自治委員会を樹立させ,北平,天津でも軍事的な圧力をかけた。

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大辞林 第三版の解説

きさつせいむいいんかい【冀察政務委員会】

〔冀は河北省、察はチャハル省の別名〕
1935年12月、日本軍の華北分離工作の圧力のもとで、国民政府によってつくられた親日的地方政権。委員長は宋哲元。

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世界大百科事典内の冀察政務委員会の言及

【華北工作】より

…日本軍は華北の軍閥をとりこもうとしたが成功せず,悪評高い殷汝耕を主席に11月に非武装地帯を中心に冀東防共自治委員会(12月,冀東防共自治政府と改称)を作らせた。国民政府は殷を国賊として逮捕令を出したが,日本との衝突をさけるため12月に河北・察哈爾両省と北平(北京),天津両市を管轄する冀察政務委員会を作り,第29軍長の宋哲元を委員長とした。しかし北平の学生たちは華北分離に反対する一二・九運動を起こし,抗日救国運動を各界に広げた。…

※「冀察政務委員会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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