蘇那曷叱知(読み)そなかしち

朝日日本歴史人物事典 「蘇那曷叱知」の解説

蘇那曷叱知

任那」から最初に朝貢のために渡来したと伝える伝説上の人物。『日本書紀』によると,崇神65年に来日し,垂仁2年に帰国したが,帰国の際に賜った品物途中新羅が奪ったために両国の怨が始まったとの説を伝える。意富加羅国つまり任那加羅(金官。韓国金海市)から渡来した王子都怒我阿羅斯等と同一人とみる見解があり,蘇那は金の国,曷は大または加羅,叱知は首長の意なので,鉄(金属)の国を意味する素奈羅の中国風の表記である金官国(任那加羅)の王または王子という点で両者は一致する。『日本書紀』の編纂段階で,「任那」を倭の王権属国とみる歴史像が形成されるなかで作られた,象徴的人物であろう。<参考文献>三品彰英『日本書紀朝鮮関係記事考証』上

(鈴木靖民)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蘇那曷叱知」の解説

蘇那曷叱知 そなかしち

「日本書紀」にみえる任那(みまな)(朝鮮)の使節
崇神(すじん)天皇65年朝貢使として来日。垂仁(すいにん)天皇2年に帰国の際,天皇から任那王におくられた赤絹100匹を途中で新羅(しらぎ)(朝鮮)人にうばわれたため,任那と新羅両国の不和がはじまったという。

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