日本大百科全書(ニッポニカ) 「虎門」の意味・わかりやすい解説
虎門
こもん / フーメン
珠江(しゅこう/チューチヤン)は珠江デルタを形成しつつ、中国南部、広東(カントン)省で、数本の流れに分かれて海に注いでいる。そのうちもっとも東の分流がその出口につくるらっぱ状の海域を伶仃洋(れいていよう)とよぶが、この伶仃洋海域北端の珠江流出口左岸の丘を虎門とよび、珠江を通って広州(こうしゅう/コワンチョウ)市に出入りする船舶を監視する絶好の地点となっている。このため、1717年には要塞(ようさい)が設けられ、砲台が建設された。1840年のアヘン戦争では両広総督林則徐(りんそくじょ)に率いられた清(しん)軍がここでイギリス艦隊を砲撃し、イギリスが密輸入しようとした国禁のアヘンを焼き捨て、内外を震撼させた。現在もアヘン戦争人民抗英記念碑をはじめ、当時の史跡が多く残されている。また現在は深圳(しんせん/シェンチェン)と珠海を結ぶ高速道路橋が珠江河口を跨(また)いで架設され、港湾としても年100万トン余を積み下ろしできるコンテナ埠頭が完成した。大型火力発電も建設され、珠江デルタの交通上の要衝となっている。
[河野通博]