蛭ヶ谷村(読み)ひるがやむら

日本歴史地名大系 「蛭ヶ谷村」の解説

蛭ヶ谷村
ひるがやむら

[現在地名]相良町蛭ヶ谷

中西(なかにし)村の北東に位置し、東は白井(しらい)村。蛭谷・蛭箇谷などとも記された(「遠江国風土記伝」など)。文禄二年検地高目録に「ひるかや村」とみえ、高五二石余。掛川預一万石郷村覚では高八一石余、ほかに同所新田として高三九石余が記され、正保二年(一六四五)幕府直轄領から掛川藩の預地となる。正保郷帳では田方七一石余・畑方九石余、掛川藩預、ほかに西ノ宮(現蛭児神社)領二石がある。元禄郷帳では高一三四石余。村高は幕末まで変わらない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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