行観(読み)ぎょうかん

朝日日本歴史人物事典 「行観」の解説

行観

没年:延久5.3.28(1073.5.7)
生年:長和2(1013)
平安中期の天台宗の僧。小一条院敦明の子。園城寺長吏行尊の叔父。錦織庄(滋賀県大津市)の尊勝院に住み,錦織僧正と称される。定基に従って園城寺に入り,行円から灌頂を受ける。永承3(1048)年に法眼に叙せられ,のちに僧正となったが,延久2(1070)年に辞職した。源頼義,義家父子帰依を受け,頼義は錦織山に八幡宮を祀り,行観は盲人であった義家の娘の目を開かせたという。また義家の弟の義光も園城寺の周辺に住んで新羅三郎と称した。弟子に良意がいる。<参考文献>柳田暹暎「錦織僧正行観について」(『園城寺』27号)

(岡野浩二)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

関連語 覚融

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「行観」の解説

行観(1) ぎょうかん

1013-1073 平安時代中期の僧。
長和2年生まれ。三条天皇の孫。敦明(あつあきら)親王の王子。近江(おうみ)(滋賀県)の天台宗園城(おんじょう)寺の定基にまなび,行円に灌頂(かんじょう)をうける。近江錦織荘(にしごりのしょう)の尊勝院にはいり,源頼義(よりよし)・義家(よしいえ)父子の帰依(きえ)をうけた。治暦(じりゃく)元年僧正。延久5年3月28日死去。61歳。通称は錦織僧正。

行観(2) ぎょうかん

覚融(かくゆう)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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