日本歴史地名大系 「西冨田村」の解説 西冨田村にしとみだむら 三重県:鈴鹿市旧鈴鹿郡地区西冨田村[現在地名]鈴鹿市西冨田町中冨田(なかとみだ)村の西、安楽(あんらく)川(和泉川)の北岸にあり、東海道に沿う集落。付近は条里遺構の比較的広く残る地域で、集落の区画も整然としている。文禄検地帳を転記したと思われる伊勢国中御検地高帳には「西飛田」と現れ、村高は六九九・八五石。戦国時代より亀山領主関氏の支配下で、慶長一五年(一六一〇)より元和元年(一六一五)の大坂移封までの五年間は松平忠明領、元和元年から寛永一三年(一六三六)まで幕府領、寛永一三年本多俊次の入部以後は亀山藩領。慶安郷帳(明大刑博蔵)には、高七〇四・八五石、うち六四〇石余田方、六三石余畑方とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by