西
原新村
にしあしはらしんむら
江戸後期の上下新川郡絵図(高樹文庫)によると常願寺川左岸沿いにあり、北は貫田村。安政五年(一八五八)の常願寺川大洪水により、翌年同川右岸の高原野(現立山町)に新たに西芦原新村を開いた。旧村の所在地は現在の常願寺川付近とみられる。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高一一一石、免三ツ二歩、小物成は鮭役四匁・鮎川役二匁、鱒役二匁(出来)、天和元年(一六八一)の川崩れによる検地引高四〇石(三箇国高物成帳)。
西
原新村
にしあしはらしんむら
[現在地名]立山町西芦原
常願寺川右岸の高原野に位置する。南は貫田村。もとは常願寺川左岸に位置し島組に属したが、安政五年(一八五八)の常願寺川大洪水で被災し、翌六年九月に移住を開始した。最初の入植者は忠右衛門(高井家)であったとされる。全戸が移住したので引越の名称が村名の上につかなかったという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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