西善三郎(読み)にし・ぜんざぶろう

朝日日本歴史人物事典 「西善三郎」の解説

西善三郎

没年明和5.10.11(1768.11.19)
生年:生年不詳
江戸中期の阿蘭陀通詞。西家第3代。父は第2代善右衛門。享年52,53,54歳の3説より生年は正徳5(1715)~享保2(1717)年と考えられる。享保7年より見習として出島出入り,稽古通詞,小通詞末席を経て宝暦4(1754)年大通詞。年番通詞を5度,江戸番通詞を6度勤め,「尤学力モ有之者」と後代まで称されるほどの人物であった。明和3(1766)年の江戸参府の際,前野良沢,杉田玄白らと会談して自らの体験からオランダ語習得の難しさを説き,玄白はそれがためにオランダ語学習を放棄したという。晩年マーリンの蘭仏・仏蘭辞書を典拠に蘭日辞書編纂を企てたが,完成には至らず病没。しかしその先駆的努力は石井庄助に受け継がれた。西の草稿を批判的に受容,展開したものに前野良沢『思思未通』がある。<参考文献>杉田玄白『蘭学事始』,古賀十二郎『長崎洋学史』上,板沢武雄『日蘭文化交渉史の研究』,杉本つとむ『蘭語学とその周辺

(鳥井裕美子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西善三郎」の解説

西善三郎 にし-ぜんざぶろう

?-1768 江戸時代中期のオランダ通詞(つうじ)。
肥前長崎の人。小通詞をへて,宝暦4年大通詞となる。晩年,マーリンの「蘭仏・仏蘭大辞典」に準拠した蘭日辞書の編集を企画したが,完成前の明和5年10月11日死去した。享年に52,53,54歳の3説がある。

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