ブルース(読み)ぶるーす(英語表記)Louis E. Brus

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブルース」の意味・わかりやすい解説

ブルース(ポピュラー音楽)
ぶるーす
blues

19世紀末ごろにアメリカ南部のアフリカ系アメリカ人によってつくり出された音楽。20世紀のアメリカのポピュラー音楽におけるもっとも基本的なジャンルの一つ。その影響は、ジャズ、ブギ・ウギ、リズム・アンド・ブルース(R&B)、ヒップ・ホップ、カントリー、ロックなど、アメリカのポピュラー音楽のほとんどに及んでいる。ブルースという名は、不幸や憂鬱(ゆううつ)な気分(英語のブルー)をうたった歌に由来する。起源については諸説あるが、アフリカ系のミュージシャンがイギリスやアイルランドをはじめとするヨーロッパ系の音楽の要素を吸収しながら生み出したことは間違いない。

[北中正和]

特徴

ブルースは、1行4小節ずつで3行、計12小節からなる曲構造をもち、コード進行も決まったものが多い。歌詞とメロディは典型的なものでは、A―A―Bのように前の2行でほぼ同じフレーズを繰り返し、最後の1行で前の2行の内容を受ける形で終わる。音階にはミ(第3度)とシ(第7度)が約半音下がったいわゆるブルー・ノートblue noteが用いられる。ときにはソ(第5度)などほかの音も半音下がることがある。

 ブルースの歌詞は、個人的な恋や生活の悩みを歌ったものが多いが、当初はそこに奴隷解放後も生活が楽にならなかったアフリカ系アメリカ人社会の気分が反映されていた。しかしブルースはかならずしも重苦しい音楽ではない。しばしば性的なニュアンスを含むダブル・ミーニングの強調や、機知にあふれた言い回しを使って、苦しみや悲しみを笑いとばす歌も多い。その表情は、歌い方だけでなく、ギターやピアノやブルースハープ(穴が10個ある小形のハーモニカ)などの楽器演奏によっても大きく左右される。通常4分の4拍子で演奏されるが、歌や演奏のシンコペーションが欠かせないのも特徴の一つである。

[北中正和]

歴史

ブルースの第1号ヒットは、作曲家W・C・ハンディWilliam Christopher Handy(1873―1958)の『セントルイス・ブルース』とされているが、これはブルースの要素を取り入れた流行歌だった。ブルースの初録音は女性ブルース歌手メイミー・スミスMamie Smith(1883―1946)による1920年の『クレイジー・ブルース』であった。女性歌手の録音が早かったのは、北部都市の白人中産階級向けに女性歌手が歓迎されたからだ。しかし、アフリカ系アメリカ人の間に需要があることがわかった1920年代中期からは、南部での録音も進み、ブルースはレイス・レコードrace recordという差別的な名前を冠して売られるようになった。

 ブルースは、年代や地域や演奏スタイルによって、さまざまな呼ばれ方をしてきた。ベッシー・スミス、ビリー・ホリデーらがジャズ・バンドで歌ったクラシック・ブルースやジャズ・ブルース、チャーリー・パットンCharley Patton(1891―1934)、ロバート・ジョンソンRobert Johnson(1911―1938)、サン・ハウスSon House(1902―1988)らによる南部の田舎(いなか)で生まれたカントリー・ブルース、リロイ・カーLeroy Carr(1905―1935)らの洗練されたシティ・ブルース(アーバン・ブルース)、1950年代のマディ・ウォーターズMuddy Waters(1915―1983)に代表されるエレクトリック化されたシカゴ・ブルース、1960年代以降のエリック・クラプトンEric Clapton(1945― )、スティービー・レイ・ボーンStevie Ray Vaughan(1954―1990)らの白人によるホワイト・ブルースなどがあげられる。しかし、これらの呼称は便宜的なものであり、音楽の基本構造は変わらない。シカゴ・ブルースやジャズ系のバンドが演奏した、4(フォー)ビートを強調した跳ねるようなリズムのジャンプ・ブルースは、1950年代以降のリズム・アンド・ブルースやロックン・ロールの源流となった。

 かつてジャズ系のミュージシャンが演奏する以外のブルースは、アフリカ系アメリカ人の下層階級の粗野な音楽とされていた。しかしロック系ギタリストがブルースに強い影響を受けた1960年代以降は、演奏者・聴衆ともに人種や階級や国境にこだわらない傾向がみられ、音楽の幅も広がった。B・B・キングB. B. King(1925―2015)のようにタキシードを着て豪華なホールに出演するのが似合うベテランから、バディ・ガイBuddy Guy(1936― )やロバート・クレイRobert Cray(1953― )のような歯切れのいい演奏を聞かせる中堅、タジ・マハールTaj Mahal(1942― )のようにアフリカにルーツを探しに行く研究肌の人まで、多様なブルースメンが活躍している。

[北中正和]

『ポール・オリヴァー著、米口胡訳『ブルースの歴史』(1978・晶文社)』『鈴木啓志著『ブルース世界地図』(1987・晶文社)』『ローレンス・コーン編、中江昌彦訳『ザ・ブルース・ブック』全2巻(1997・ブルース・インターアクションズ)』『湯川新著『ブルース――複製時代のフォークロア』新装版(1997・法政大学出版局)』『ピーター・ファン=デル=マーヴェ著、中村とうよう訳『ポピュラー音楽の基礎理論』(1999・ミュージック・マガジン)』『ロバート・パーマー著、五十嵐正訳『ディープ・ブルーズ』(2000・シンコー・ミュージック)』『カイル・チャールズ著、北川純子監訳、浜邦彦・高橋明史訳『アーバン・ブルース』(2000・ブルース・インターアクションズ)』


ブルース(Louis E. Brus)
ぶるーす
Louis E. Brus
(1943― )

アメリカの化学者。オハイオ州クリーブランド生まれ。海軍予備役将校訓練課程(NROTC)の奨学金を得て、1965年ライス大学卒業。1969年にコロンビア大学から博士号を取得。大尉として海軍に戻り海軍研究試験所の研究員として勤務し、1973年にAT&T・ベル研究所に移り、「量子ドット」とよばれる、数ナノメートル(1ナノメートルは10億分の1メートル)のサイズの半導体結晶が大きさによってさまざまな色を発することを発見した。1996年にコロンビア大学教授、のち名誉教授。

 量子化学の分野では、物質の直径を数ナノメートルサイズまで小さくすると、電子が閉じ込められ、物質の特性が大きく変わる「量子効果」がおこることが1930年代に予測されていた。この半導体の性質をもつ粒子は「ナノ粒子」とよばれ、その量子効果を証明するナノ粒子の存在は半世紀近く、証明されなかった。

 ベル研究所にいたブルースは、1982年、溶液の中で、硫化カドミウム結晶を作成中に、ナノメートルサイズまで粒径を小さくすると溶液の青みが強くなることを発見、翌1983年にその成果を発表した。条件によって電気的挙動が異なり、半導体の性質をもつこのナノ粒子を、「量子ドット」と名づけ、溶液の中に浮遊する粒子のサイズ依存量子効果を世界で初めて証明し、量子効果の理論を構築した。

 実はちょうど同じころ、東西冷戦時代のソ連バビロフ国立光学研究所で研究していたエキモフは同様の現象を発見。ガラスに同じ量の塩化銅を添加して、粒径を小さくするなど作成条件を変えるとさまざまな色に発色することを確認、1981年にソ連の学術誌に発表した。しかし1984年まで西側諸国の科学者に知られることはなく、ブルースは、エキモフの論文の翻訳を読むまで、その成果を知らなかった。

 1980年代後半になると、ブルースの研究室に加わったムンジ・バウェンディが、溶液の温度を高温にしたり、低温にしたり、温度調節することで、粒径がねらい通りのナノサイズになるさまざまな量子ドットを安定的に作成する手法を確立した。量子ドットが大量に製造できるようになったことで、高性能ディスプレー、太陽電池への応用が進んだほか、がん細胞の体内動態の追跡など医学への応用も始まっている。

 ブルースは、2001年アービング・ラングミュア賞、2006年R・W・ウッド賞、2008年カブリ賞、2009年ウィラード・ギブス賞、2010年アメリカ科学アカデミー賞(化学部門)、2012年バウアー賞、2013年ウェルチ賞を受賞。2023年に「量子ドットの発見と合成」の業績で、バウェンディ、エキモフとともにノーベル化学賞を受賞した。

[玉村 治 2024年2月16日]


ブルース(Paul Brousse)
ぶるーす
Paul Brousse
(1844―1912)

フランスの社会主義者。医師であったが、1870年代初頭第一インターナショナルに加入、弾圧を逃れてスイスに滞在中、アナキスト組織「ジュラ連盟」の論客となった。1870年代末、市議会議員選挙を利用した都市行政掌握の戦術を主張してアナキズムを離れた。1880年、フランスに帰還、1879年成立したフランス社会主義労働者党に参加したが、革命至上主義を唱えるゲードと対立、1882年の分裂を経て「フランス社会主義労働者連盟」、通称「可能派」を結成した。市議会への進出は合法的なコミューン建設の戦術と考えられ、また労働者層に有利であったところからアルマーヌらもこれに加わったが、党内で議員グループの比重が増すに伴い亀裂(きれつ)が生じ、1890年のアルマーヌ派の分離に至った。以後弱小党派を率いたブルースはジョレスに接近し、これとともに統一社会党に加わったが、徐々に社会主義の傾向を弱め、晩年これを離れた。

[相良匡俊]


ブルース(James Bruce)
ぶるーす
James Bruce
(1730―1794)

イギリスの探検家。スコットランドのステアリング県カンネルドに生まれる。エジンバラ大学に学んだ。1763年アルジェリア駐在のイギリス領事となったが、1765年辞任、北アフリカにおけるローマの遺跡を探検した。1765~1768年にかけて、地中海東部のロードス島、キプロス島およびシリアを広く旅行して考古学的発掘に従事した。そのなかでレバノンのバールベックとシリアの遺跡の考古学的研究は有名である。1768年以来、ナイル川の源流の探検を行い、1770年11月14日、ついにタナ湖畔のギーシュが青ナイルの源流であることをつきとめた。1774年帰国し報告したが、彼の探検談は容易に信用されなかった。しかし、白ナイルとの合流点など、彼が最初にナイル川の全流程を探検したことに変わりはない。著書に『1768―73年におけるナイル川源流発見旅行』全5巻(1790)がある。

[市川正巳]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブルース」の意味・わかりやすい解説

ブルース
Bruce, Sir David

[生]1855.5.29. メルボルン
[没]1931.11.27. ロンドン
イギリスの医師,細菌学者。熱帯病の病原体の調査研究で有名。 1883年イギリス軍の軍医陣に加わりマルタ島に駐在中,マルタ熱,波状熱といわれる熱病を研究,87年この病気にかかって死んだ兵士の脾臓から,病原菌の分離に成功。以来この病気はブルセラ症,病原菌はブルセラ菌と呼ばれた。次いで 95年,南アフリカのウマやウシの致命的病気であるナガナ病の病原体が原虫のトリパノソーマで,媒体はツェツェバエであること,また 1903~06年にアフリカ睡眠病の病原体もトリパノソーマで,やはりツェツェバエが媒介することを発見した。

ブルース
blues

アメリカの黒人の間に生れた歌曲。 19世紀なかばから末にかけての奴隷解放に伴ってアメリカ南部で歌われるようになった。悲しみや嘆きを歌ったものが多い。歌詞は3行詩形式で,各行が4小節の都合 12小節,最初の4小節が次の4小節で繰返され,最後の4小節で結ぶという形をとり,メロディーは3度と7度の音が半音下がるいわゆるブルース音階を用いる。 1920年代にはベッシー・スミスらの歌手が出て曲として一つの形式が生じ,ジャズ奏者も好んで演奏するようになった。 30年代にはビッグ・バンドをバックに歌う都会的なブルース歌手も登場,今日のポピュラー音楽に大きな影響を与えた。

ブルース
Bruce, David K. E.

[生]1898.2.12. ボルティモア
[没]1977.12.5. ワシントンD.C.
アメリカの外交官。プリンストン大学卒業。弁護士を経て外交官となり,1952~53年国務次官補,さらに西ドイツ駐在大使,イギリス駐在大使を歴任,70~72年ベトナム和平パリ会談のアメリカ代表をつとめた。 72~74年アメリカの北京駐在連絡事務所の初代所長として米中関係の改善に寄与した。 74~75年北大西洋条約機構 NATOブリュッセル本部駐在大使。

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