西寄居村(読み)にしよりいむら

日本歴史地名大系 「西寄居村」の解説

西寄居村
にしよりいむら

[現在地名]那須町豊原(とよはら)・豊原甲(とよはらこう)・豊原乙(とよはらおつ)・豊原丙(とよはらへい)

南流する黒(くろ)川流域に点在する黒羽藩領の諸村で、同藩による「創垂可継」封域郷村誌巻一では横岡(よこおか)村の枝村としてあげられる矢(や)ノ目(め)・松沼(まつぬま)・水塩(みずしお)・大平(おおひら)・黒木(くろき)・成沢(なるさわ)・弥次郎淵(やじろうぶち)・籏鉾(はたほこ)・木戸(きど)・戦(たたかい)・七曲(ななまがり)・荻久保(おぎのくぼ)・高津(たかつ)・柏沼(かしわぬま)・二枚橋(にまいばし)・追田原(おいだわら)の一六村と、郷帳類では独立した一村として扱われる夕狩(ゆうがり)・松倉(まつのくら)・綱子(つなご)・迯室(にがしむろ)の四村は前掲封域郷村誌巻二では寄居西組として編成された。寄居西組のうち前掲一六ヵ村(夕狩以下四ヵ村を加え二〇村の場合もある)の総称として西寄居村・寄居西村などが用いられた。北から黒木・夕狩・柏沼・迯室と結んで原街道が通る。夕狩・迯室には問屋が置かれ、附子として廻米などの輸送に従事する者も多かった。寛文九年(一六六九)の拝借馬金等につき口上書(松本稔文書)には大平・水塩・籏鉾・追田原・弥次郎淵・松倉などの村名がみえ、街道問屋が陸奥白河藩から借受けた馬金の返済を附子村として迫られたため、問屋源左衛門の家宅などを附子村々に引渡すことなどを訴願している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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