西富松村(読み)にしとまつむら

日本歴史地名大系 「西富松村」の解説

西富松村
にしとまつむら

[現在地名]尼崎市武庫之荘東むこのそうひがし一丁目・武庫之荘一丁目・同三―四丁目・南武庫之荘みなみむこのそう一―二丁目

生津なまづ村の東に位置し、東は川辺かわべ郡東富松村。慶長国絵図には西畠松村とみえ、高一九一石余。元和三年(一六一七)の摂津一国御改帳に村名がみえ、同高で幕府領(建部与十郎預地)正保郷帳でも同高で、ほかに新田高二九石余。領主変遷は生津村に同じ。用水は武庫川水系富松井掛り(尼崎市史)。天明八年(一七八八)には家数二六・人数一二九、牛一三・馬一、高札一。氏神牛頭天王(現須佐男神社)は村中回り持ち(「巡見使通行用留帳」岡本家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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