西嶺村(読み)にしのみねむら

日本歴史地名大系 「西嶺村」の解説

西嶺村
にしのみねむら

[現在地名]香北町西の峯にしのみね

荒瀬あらせ村の東、物部ものべ川北岸に位置し、東は河内かわのうち川を隔てて日御子ひのみこ村。標高二五〇―三〇〇メートルの緩傾斜地に家屋が散在する。表記は西ノ嶺・西ノ峯・西峯なども混用

戦国時代当地を本拠とした土豪西峯氏は、楠目くずめ(現土佐山田町)の城主山田氏の有力家臣で、左近守西念は主君山田基道の娘をめとっていた。しかし基道の子元義の代となり、元義が文弱に流れるのをしばしば諫めてかえって疎んぜられ、側近の奸計により自殺させられた。これを聞いた妻も村内にあった城に火を放ち、幼児とともに猛火に身を投じたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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