日本歴史地名大系 「香美郡」の解説
香美郡
かみぐん
高知県の東部、南西流する物部川を中心に郡域は北東から南西に細長い。南東は安芸市および安芸郡
郡域を三分すれば、北部は物部村と香北町・香我美町の北部、中部は土佐山田町と香北町南部・夜須町北部・香我美町中部、南部は残りの夜須町と香我美町の南部、および赤岡・吉川・野市の三町村ということになろう。北部の奥地は一〇〇〇メートルを超す山々が連なり、林産物を産する山村。中部の河岸段丘の発達した地域は良米の産地である。南部の香長平野は物部川右岸地区が南国市に合併し郡内の村は減少したが、それでも香長平野の約半分は残り、米の二期作(最近はあまりみられなくなった)や促成農業、煙草の栽培が盛んで、香我美町
郡名は「日本後紀」延暦二四年(八〇五)五月一〇日条に「土左国香美郡」とみえるが、香美は「加々美」と読ませている(和名抄)。訓により「香我美」と書く場合もあるが、古くは香美と書き、中世・近世は香美・香我美を混用、明治四年(一八七一)「香美」と記し訓も「かみ」と定められた。前述の「日本後紀」は香美郡少領外従六位上物部鏡連家主が「撫育有方、公勤匪怠」であるとして「爵二級」を授けられたことを記しているが、「類聚国史」(人部)大同五年(八一〇)正月二一日条には「土佐国香美郡人物部文連全敷女授少初位上、免戸田租、以終身、標其門閭、以旌節行也、全敷女同郡物部鏡連家主之妻也、夫亡之後、哭不絶声、哀感行路」とあり、香美郡司の善政とその妻の貞節が伝えられている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報