西御門町(読み)にしごもんちよう

日本歴史地名大系 「西御門町」の解説

西御門町
にしごもんちよう

東山区新宮川町通松原下ル

新宮川(しんみやかわ)筋(宮川筋東裏通)に位置。正徳四年(一七一四)洛外町続町数小名并家数改帳(荻野家文書)に「弐拾八軒 同(建仁寺)新門前西御門町」とみえる。

宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」は「鴨川筋東へ二すじ目、松原下ル 西御門町」とあり、天保二年(一八三一)刊「京都巡覧記」は「宮川筋東裏筋 松原下ル西御門町」と表示する。地図では寛保初京大絵図に「西御門町」とみえるのが最初である。

「坊目誌」は本町以下建仁寺領新家地について、いずれも「正徳三年開通する所なり」とするが、延享二年(一七四五)「改正増補京羽二重大全」以降の地誌はすべて正徳二年とする。


西御門町
にしみかどちよう

[現在地名]奈良市西御門町

小西(こにし)町の北に位置。「奈良曝」は「南都七御門の内。町役廿九軒」「西御門殿といひし公家屋しきの跡」と記す。西御門郷は建仁二年(一二〇二)八月一三日の興福寺別会所下文案(大乗院記録秋)にみえ、春日若宮祭礼の細男頭役に任ぜられている。「大乗院雑事記」によれば、大乗院座の塩駄問屋(文明五年四月二七日条)・檜物師(明応二年四月九日条)がいた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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