日本歴史地名大系 「建仁寺門前」の解説
建仁寺門前
けんにんじもんぜん
古代
古来
江戸時代、この地域は大半が建仁寺領で占められ、建仁寺門前の称でよばれた。先述の六波羅廻りをまた建仁寺廻りとも称するのは、その故である。ただし幕末の所領関係を記す「旧高旧領取調帳」は、六波羅廻りと建仁寺廻りを別のものとし、前者を清水寺領、後者を建仁寺領としている。この区分によれば、六波羅廻りは清水寺門前に相当し、建仁寺廻りが建仁寺門前及び建仁寺廻りをさすようである。
元禄一三年(一七〇〇)山城国郷帳に「高百拾四石弐斗六升六合 建仁寺門前」とあり、高は時代が下るにつれて若干の増加をみるが、隣接する祇園・清水・五条橋東などと連動して市街化の動きが著しく、宝暦期(一七五一―六四)には六波羅廻りの一部を除き、ほぼ全域が町家地に繰入れられるに至る。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報