日本歴史地名大系 「北御門町」の解説
北御門町
きたごもんちよう
寛永版平安城東西南北町並之図以来、地図上には「北ミカド」のみがあり、これが地図上の省略でなかったことは、寛永一四年(一六七三)洛中洛外惣町数人家数改日記(「半日閑話」所引)をはじめ、延宝二年(一六七四)四方洛外町続之町々小名之覚(荻野家文書)にも、北御門町とだけしかないことからも明らかである。正徳四年(一七一四)洛外町続町数小名并家数改帳(同文書)に至って、「三拾三軒 同(建仁寺南門前)北御門町」とは別に「同(建仁寺)新門前」に西御門町が派生し、その後初めて南御門町の分立をみたもので、もともと南北相対していたわけではなかった。
北御門町
きたみかどちよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報