西枝下村
にししだれむら
[現在地名]豊田市枝下町
矢作川に架かる両枝橋より下手にあり、西岸沿いに開けた村で、飯田街道(現国道一五三号)の渡場として、対岸の東枝下村とともに栄えた。瀬戸陶土層が地表近くにあり、窯業原料の主産地である。墳丘の残る枝下第一―三号墳がある。中世には、高橋庄に属した。文和三年(一三五四)銘の絹本著色親鸞上人絵伝の添状(如意寺蔵)に「三州高橋庄志多利郷」とある。
寛永郷帳・元禄郷帳時ともに幕府領で、元禄期(一六八八―一七〇四)に西広瀬に陣屋を置く青山氏の知行地となって明治に至る。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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