日本歴史地名大系 「見岫村」の解説
見岫村
みぐきむら
[現在地名]大内村小栗山 見岫
寛永二年(一六二五)の由利御知行之内打直分免定覚に新高四〇石二斗二升九合、納米一五石二斗八升九合、免三ツ八分とある。正保三年(一六四六)の出羽国油利郡内高目録(秋田県庁蔵)に高六四石、そのうち畑は五斗七升として、「水損所 はへ山有 川有 新開有」と記される。寛政年間(一七八九―一八〇一)には小栗山村肝煎佐々木与市の手により、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報