日本歴史地名大系 「小栗山村」の解説
小栗山村
こぐりやまむら
小栗山村
こぐりやまむら
- 青森県:弘前市
- 小栗山村
弘前城下の南、
貞和三年(一三四七)五月日の曾我貞光申状案(遠野南部文書)に「同年建武三五月廿七日 向小栗山楯御敵倉光孫三郎 致軍忠之処 親類曾我弥三郎光俊討死畢 并家人小林六郎時重 紀佐市 弥八盛忠 以上三人討死畢 次若党平賀又次郎貞泰 中間彦五郎等被疵 御敵三人生捕之者也 此段同家季一見状在之」とあり、小栗山楯は小栗山村にあり、建武三年(一三三六)当時は南朝方の倉光氏の拠点であったと推定できる。
小栗山村
こぐりやまむら
慶長一七年(一六一二)の由利郡中慶長年中比見出検地帳(由利郡中世史考)の
小栗山村
こぐりやまむら
小栗山村
こぐりやまむら
小栗山村
こぐりやまむら
小栗山村
こぐりやまむら
小栗山村
こぐりやまむら
享保六年(一七二一)の南山御蔵入騒動では、小栗山喜四郎生誕の地として知られる。江戸詮議裁許留書(福島県史)によると、喜四郎など一揆の首謀者六名は死罪獄門の処罰を受けた。文政四年(一八二一)の大石組地震では震源地に近く、四二軒中一二軒全壊、一六軒半壊の大被害を受け、野尻村(現昭和村)に強制疎開させられた(「変難実録」佐藤家文書)。
小栗山村
おぐりやまむら
- 新潟県:五泉市
- 小栗山村
阿賀野川左岸の低湿地にあり、南は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報