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安閑天皇 あんかんてんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

安閑天皇
あんかんてんのう

第 27代に数えられる大和朝廷の天皇。継体天皇第1皇子。母は目子媛。マガリノオヒネヒロクニオシタケカナヒミコトと称する。大和勾金橋に都し,皇后は春日山田皇女という。陵墓は大阪府羽曳野市の古市高屋丘陵。

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デジタル大辞泉の解説

あんかん‐てんのう〔‐テンワウ〕【安閑天皇】

記紀で、第27代の天皇。継体天皇の第1皇子。名は広国押武金日(ひろくにおしたけかなひ)。皇居は勾金橋宮(まがりのかなはしのみや)。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

安閑天皇 あんかんてんのう

466-536* 記・紀系譜による第27代天皇。在位534-536*。
継体天皇の第1皇子。母は目子媛(めのこひめ)。「日本書紀」によると,都は大和の勾金橋(まがりのかなはしの)宮。全国各地に屯倉(みやけ)をおき,県犬養連(あがたのいぬかいのむらじ)らに,その税をつかさどらせた。安閑天皇2年12月17日死去。70歳。墓所は古市高屋丘陵(ふるちのたかやのおかのみささぎ)(大阪府羽曳野市)。別名は勾大兄(まがりのおおえ),広国押武金日天皇(ひろくにおしたけかなひのすめらみこと)。
【格言など】内外清(す)み通りて,国家殷(にぎは)ひ富めり。大きに酺(さけのみ)すること五日にして,天下(あめのした)の歓(よろこび)を為すべし(「日本書紀」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

安閑天皇

没年:安閑2(535)
生年:雄略10(466)
6世紀前半の天皇。継体天皇と目子媛(尾張連草香の娘)の子で,即位前は勾大兄と呼ばれた。諡号は広国押武金日天皇。勾とは居住地の大和国勾金橋(橿原市)からとったもの。大兄とは新羅で5世紀ごろから使われ始めた語で,一族の宗主権者に与えられた尊称であり,継体の最年長の子であったことを示す。継体死後2年の空白をおいて安閑1(534)年即位し,同2年12月17日に死んだ。この不自然な即位,死亡状況から,異母弟欽明天皇との対立があったのではないかという説がある。継体天皇のとき,任那4県の割譲に反対した。朝鮮半島をめぐる外交方針が対立要因となった可能性がある。高屋築山古墳(羽曳野市)が陵墓に比定されている。

(大平聡)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

あんかんてんのう【安閑天皇】

記紀で、第二七代天皇広国押武金日尊ひろくにおしたけかなひのみことの漢風諡号しごう。継体天皇の皇子。都は大和勾金橋まがりかなはし宮。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

安閑天皇
あんかんてんのう

第27代天皇。継体(けいたい)天皇の長子。母は尾張連目子媛(おわりのむらじめのこひめ)。諱(いみな)は勾大兄(まがりのおおえ)。国風諡号(しごう)は広国押武金日尊(ひろくにおしたけかなひのみこと)。『日本書紀』安閑即位前紀に継体天皇25年(531)即位、元年紀には甲寅(きのえとら)年(534)即位とあって矛盾し、一方『書紀』に540年即位とある欽明(きんめい)天皇が、『法王帝説(ほうおうていせつ)』によると532年即位となる。そこで、継体の没後嫡子欽明が立ったが、まもなくこれに反発して庶兄安閑が並び立ったとも解しうる。『書紀』によると、皇居は勾金橋宮(まがりのかなはしのみや)(奈良県橿原(かしはら)市曲川(まわりかわ)町)、在位2年、古市高屋丘陵(ふるいちのたかやのおかのみささぎ)(大阪府羽曳野(はびきの)市古市)に葬られた。在位中、全国各地に30余りの屯倉(みやけ)が設置されたと伝えるのは、安閑朝が動乱期であったことを示すものであろう。[黛 弘道]

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世界大百科事典内の安閑天皇の言及

【継体・欽明朝の内乱】より

…6世紀前半の継体朝末年に皇位継承をめぐって勃発したと想定されている内乱。《日本書紀》では継体天皇の死をその25年辛亥(531)のこととし,安閑天皇1年(534)までの2年間は空位とされる。一方,仏教公伝を《日本書紀》が壬申年(552)とするのに対し戊午年(538)として伝える《上宮聖徳法王帝説》や《元興寺縁起》によれば,欽明天皇の即位は辛亥年となって先の継体没年とつながり,その間に安閑・宣化2天皇の治世をいれる余地がない。…

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