古流柔術(和術)の一つで、南部(なんぶ)盛岡藩の御留(おとめ)流として、小具足(こぐそく)・立合(たちあい)の表稽古(おもてげいこ)から甲冑歩立組討(かっちゅうかちだちくみうち)秘伝に至る、打(うち)・取(とり)あわせて958手に及ぶ手数(てかず)と、肘(ひじ)・足(あし)の当てを含む猛稽古で有名であった。盛岡藩伝の初代岡武兵衛庸重(おかぶへえつねしげ)は、江戸へ出て諸流を学び、さらに真(しん)の当(あ)てを求めて、鎌倉の石田辰之進定政(いしだたつのしんさだまさ)の門に入り、刻苦研鑽(けんさん)のすえ、諸賞流の免許を得て寛龍軒(かんりゅうけん)と号し、帰国後再出仕してこれを子弟に教授したという。
[渡邉一郎]
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...