谷中七面前町(読み)やなかしちめんまえまち

日本歴史地名大系 「谷中七面前町」の解説

谷中七面前町
やなかしちめんまえまち

[現在地名]台東区谷中やなか五丁目

谷中片やなかかた町の北方にある。新堀につぽり(現荒川区)から一部が分れて町場になった。同村の日蓮宗延命えんめい(現同上)境内には七面明神社があり、道を隔てて同院の南側に位置することから町名が付けられた。東は谷中感応寺やなかかんのうじ古門前町、西・南は谷中町村分(東叡山寛永寺領畑地)。寛永寺領で目代田村権右衛門役所に年貢を納め、のちに町奉行の支配も受けるようになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む